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プロ棋士とコンピュータの対戦

報道によりますと、3月下旬に、プロ棋士とコンピュータの対戦が行われました。「第2回将棋電王戦」と銘打たれたもので、現役プロ棋士5人とコンピュータ5台(ハードの構成、ソフトは、5台とも異なる)の団体戦でした。勝敗は、プロ棋士が1勝3敗1引分け、人間が団体戦でコンピュータに敗れたのです。

この団体戦は、将棋ファン、将棋ソフト関係者以外の方の関心も引いたようで、しかも結果は、人間サイドの敗北でしたから、将棋をろくに知らない私ですら、事後的ではありますが、興味を持ってしまいました。

(注)このような人間とコンピュータを勝負させることは、他国では、チェスの世界チャンピオンとコンピュータの勝負が1990年代後半に行われ、コンピュータが勝っています。日本の将棋では、米長永世棋聖(現役棋士ではない)とコンピュータの勝負で、やはりコンピュータの勝ち、という結果でした。しかし、今回の将棋の対戦では、現役プロ棋士が敗れたので、少しレベルが異なります。なお、念のために申し上げておきますが、彼ら現役プロ棋士は、実力的に錚々たるメンバーであり、対するコンピュータは、世界コンピュータ将棋選手権で好成績を挙げた上位5チームの最強コンピュータ、との報道がなされています。

皆さんは、このようなプロ棋士とコンピュータの対戦について、どのような感想を持たれたでしょうか? 面白い、不快だ、あるいは、コンピュータ(ハード、ソフト)の進歩に感心する、怖い、などでしょうか? 私はその全ての感想を持ちました。特に、戦ったプロ棋士の無念さ、執念を見ると、すさまじい人間ドラマもあったようで、感動すら覚えます。

ただし同時に、私には次のような疑問が浮かびました。それをひとことで言えば、何故、私たちは、人間と機械を戦わせ、その戦況を楽しみ、勝負の決着を図らなければ気がすまないのか、ということになります。これに対する回答としては、人間の能力の素晴らしさを確認したい、コンピュータの進歩度合いを確認したい、という辺りだと推測されますが、コンピュータがここまで強くなってくると、もはや、このような対戦は無意味なような気がしてきます。

何か、圧倒的な巨人に対するちっぽけな人間の善戦を見たい、あるいは蹴散らされるのを見たい、というような、しかも特定の人間をその勝負に引きずり出し、観客は無傷で楽しむ、という構図が見えてきます。これは、同じレベルの人間同士の戦いとは別の側面を帯びてくるのであって、かってのローマにおける猛獣と奴隷の戦い、卑近な例で言えば、イジメの構造にも似ているかもしれない、と思います。

私は、上記のような戦いは無意味だと感じますが、プロ棋士の会長は、コンピュータサイドの非公式な次回開催の申入れに対し、前向きに検討する意向だそうです。勝負師と言われる方々のプライドかも知れないと思いますが、同じ土俵に立たない機械を相手に勝負することは、プライドの問題より先に、無謀というべきではないでしょうか。

何故、同じ土俵ではないのか、は皆さんもお気付きの通りです。コンピュータ(のハード、ソフト)は無限に改善できるし、その能力の拡張も簡単に出来ます。今回の最後の対戦で使われたコンピュータは、600台超のパソコンを接続し、1秒間に2億8千万回もの指し手を読むことができる能力を持っています。ソフトの改善も含め、今後も更に強化されて来ることは目に見えています(当たり前のことですが、機械は、人間の持つ能力の一部分についてのみ開発されるものであり、その限定された範囲内においては、人間を遥かに上回る能力を持たなければ、その存在意義は無くなるのです)。その上、将棋の対戦においては、コンピュータは疲れを知らないし、焦りや落胆などという心の動きも当然皆無であり、いつも冷静沈着に戦える(というか、それしかできない)ため、原則、有利であることは、否めません。確かに、新しい名手、奇手などが生まれ、将棋の発展に寄与する面もあるでしょうが、それは、勝負と言う形で、公衆の面前でやる必要は無いと思います。

いかに、人間が闘争本能を持ち、勝負事に興味を持つとしても、それらの赴くままに、全てのことを判断して良いとは言えないだろう、と内心忸怩たる思いを抱えながら、言っておく必要があるでしょう。

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