「アルジャーノンに花束を」 ダニエル・キース著

この本は、早川書房から文庫本の新版として昨年に出版されました。感動的と感じる部分もありますが、私には、重い内容だなーというのが正直なところです。

(ネタバレあります)30歳を超えても、幼児並みの知能しかないチャーリー・ゴードンという男性が、この物語の主人公です。彼は、周囲の人たちに馬鹿にされたり、守られたり、愛されたり、といろいろな体験を重ねながらも、それなりに安定した生活を送っていました。しかし、ある縁があって、実験的な「賢くなる手術」を受けることになりました。本人や家族が、もっと賢くなり普通の大人になりたい、あるいは、なって欲しい、との想いがあったからです。また、実験的であるため無料であることも魅力的だったのでしょう。

手術を受ける条件としては、本人が、手術前後の自身の状況について経過報告を書くことが要求されました。彼は、何故そのようなものが必要となるのか理解できませんが、しかし、本人や家族は、積年の望みが叶えられるかもしれないと思い、医療担当チームとの合意の下に実験は開始されました。チャーリーは苦労をしながらも、懸命に経過報告を書き続けます。医療担当チームにとって、手術前後の経過報告は、手術の成果を検証・確認するために、当然、必要なものでした。驚いたことに、手術結果は予想をはるかに超え、チャーリーは、普通のレベルを通り越して天才になりました。 しかし、事は、これでメデタシ・メデタシとは、ならなかったのです。

他方、書名に出てくるアルジャーノンとは誰のことでしょう? 何とこれが、人間ではなく、チャーリーの実験前に、同様の実験に使用されたマウスのうち、特に優秀だったマウスの名前です。このチャーリーとアルジャーノン両者の関係も少し気になりますね?

いずれにしろ、この小説は多面的側面を持っており、様々なことを考えさせますので、皆さんの感想もそれぞれだと思います。 そして、私は、この本の中に、いつも通り、人類未来の危うさを感じた、という訳です。

(注)なお、今は亡き著者によれば、この小説の読者は、27ヵ国で700万人以上に上ったようですから、これは世界的なベストセラーと言えるでしょう。

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都合の良い話

私の身勝手さを肯定してもらえるようなひと言書評を、日経新聞の広告の中に見つけました(2016年11月20日)。紹介されていた翻訳本は、「読んでいない本について堂々と語る方法」(精神分析家のピエール・バイヤール著 ちくま学芸文庫)です。

ひと言書評の説明によると、ある本について説明する際、その本を全部は読んでいない方が良いそうで、むしろほかの本との関係を知り、自分自身を語るべきだ、とのことです。

そもそも、私の感覚から言うと、世の中にはあらゆるモノ・コトについて、実に様々な本が出版されていますね。なかには難解で、訳の分からない本も沢山見受けられる気がします。勿論、私にとっては、難解な本が圧倒的に多いのですが、とは言え、本のテーマについて関心があるとなると、何らかの感想が生じてきます。そこで触発された自分なりの考え、意見を、自分の言葉で語れるようになるなら、それはそれで嬉しいことと思います。

これって、普段、縮こまって生活している自分自身を解放し、もう少し楽に生きたいという願望の現れかな(?)と疑問を感じるところもありますが、人間いつまでも元気に生きていくことなどできない訳ですから、人様に大きな迷惑をかけないのであれば、まあ、いいか! とここも自分に都合よく解釈して、過ごすことに致しましょう。

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知性の限界

最近、「サピエンス全史」という本の翻訳本が河出書房新社から出版されました。著者は、ユヴァル・ノア・ハラリという人だそうです。私はこの著者のことは全く知りませんが、この書籍に関する新聞広告どおりの問題意識で書かれていたとすると、大変に面白そうです。ただし、大部であるうえに値が張る、内容が難しそうだ、ということで、今のところ、触手が伸びません。

広告文言では次のように紹介されています。「とるに足らない生物だったホモ・サピエンスは、「認知革命、農業革命、科学革命」を経て、世界を支配した。サピエンスは、虚構を信じることで協力し、この虚構こそが国家や宗教、企業、そして文明をもたらした。その文明は人類を幸福にしたのだろうか?」と。

私が思うに、虚構は人を幸福にするどころか、これまでにも頻繁に争いの種を撒き散らし、最近は、人類滅亡への準備を徐々にしているのではないかとまで、感じさせます。人間以外の動物は言うに及ばず、植物や豊かな自然環境をも巻き込む形で、滅びへの道に誘っているのではないでしょうか。

生物の端くれである人間は、この地球上において如何に蔓延るかという命題に対し、本能を使用するのみならず、他の生物にはない「虚構」という武器を携えて挑み、爆発的な増殖に成功したと言えるでしょう。生物種としての最終目的を達成しつつある訳です。しかし、それで全体が幸福になったか、と言えば、そうではありません。「幸福」という考えも、人間が獲得した虚構の一つであり、その基準からすれば、不全感を感じている人は多いと思います。ましてや、世界の貧しい地域の人々や紛争地域の人々にとっては、「不幸」だという認識しか持てない筈です。

私たちは、虚構を産み出す知性を信頼し過ぎているのではないでしょうか。最大の誤りは、矛盾の塊である人間の欲望をうまくコントロールする方策をも、知性が生み出すと期待したのかもしれません。しかし、それに成功したとはとても思えないですね。この様な状態は昔から続いているのに、それに手を焼いていること自体が、知性の限界を示しています。まずは、人間の欲望や知性が持つ機能の力やその限界を素直に認め、もっと有効な知性の使い方を究めていくことが、突破口を開くことになると信じたいものです。

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人工知能(AI)と人間

人工知能は、コンピュータの技術的発展のみならず、ディープラーニングのような作業方法の開発などにより、飛躍的にその能力を高めています。そして、私たち人間は、そのレベルアップの速さに恐れをなしているように見えます。特に、センセーショナルな話題としては、将棋や囲碁の世界におけるコンピュータの勝利でしょう。とにかく現時点で、AIは、2045年に、人間の能力・知性を追い抜くと予想されています。

そして、人間が機械に抜かれる、それも知性の点で抜かれる、ということが、私たち人間のプライドをひどく傷つけているのだ、という風に思います。それ程、機械に負けるのが嫌であれば、AIの開発など中止すれば良さそうなのに、そうはしない。私は、ここに大きな矛盾を感じますね。結局、その矛盾は、私たち自身の問題であり、責任なんでしょう。

昔から道具や機械は、便利だ、助けになる、ということで、私たち人間に出来ないことをさせるため、私たち自身が登場させたものです。疲れ知らずに速く移動するために列車や自動車を発明し、空を駆け巡るために飛行機を発明しました。あるいは宇宙空間にまで進出して、人工衛星による天気予報やカーナビなどの恩恵も受けています。他方、敵とみなすヒトやモノを効率的に抹殺するために武器を開発し、核兵器まで登場させました。

さて、冒頭に挙げた人工知能の問題も含め、私たち人間は技術や機械などにどう対応すれば良いのでしょうか? ロクに見識もない私が口幅ったいことを言うならば、これまで人間が発明してきたあらゆる技術を俎上に載せて再検討し、その結果を踏まえて、今後の技術開発の方向性や枠組みを、決定していくことが必須だと思います。それこそ、知性に要求されていることではないでしょうか?

現状行われているのは、あくまで私たちが欲しいと思う製品を無制限に生み出すことが許されるような社会ですが、そうではなく、人間の本性と良く照らし合わせ、人間がその使用をコントロール出来ないような製品を造ることは避ける必要があるでしょう。分かりやすい例としては、武器がその筆頭だと思いますが、いま話題の遺伝子工学が産み出す技術、製品にも似たような問題性・危険性があると感じます。 何を造るべきかより、何故造るのかを問い返さない限り、このまま進めば、人間は、自らのみならずあらゆる生物や自然を巻き込み、地球そのものを滅ぼす存在になりかねません。私はそうならないことを切に願ってはいるのですが・・・。

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エッ? トランプ大統領?

私は、クリントン氏が初のアメリカ女性大統領になるだろうと考えていましたので、トランプ氏が大統領になったことに、びっくりさせられました(トランプ大統領の誕生は、せいぜいで確率5%程度かな? と勝手に思っていましたから)。

この現象は、世界の「流動化」、というより、「漂流化」と呼ぶべき状態でしょうね・・・。流動化というのは、まだ根があるという感じですが、漂流化は根無し草状態に陥ったと言うことで、先が全く読めません。さて、世界はどこに向かうのかーなんて呑気なことを言っている場合じゃないんでしょうが、頭の回らない私には、このような感覚的感想しか浮かばないようです。うーむ、残念!

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