不確定性原理

2012年1月16日付日経新聞に、不確定性原理に関する記事が掲載されていました。見出しは、「物理の基本原則 ほころび」、です。

四苦八苦しながら、前回ブログ(ヒッグス粒子・超光速ニュートリノ関連)の原稿を何とか纏め、疲れたなあー、と思っていたところへ、またもや物理学の大ニュースが飛び込んで来ました。不確定性原理、これも私が関心を持っていたテーマの一つですね。

ただ、このニュースに触れる前に、ちょっと遠回りしたいと思います。巷間言われているように、物理学の世界には、古典力学と量子力学という二つの力学が存在します。古典力学は一応アイザック・ニュートンが創始し、量子力学はニールス・ボーアやシュレーディンガーらが創始したと言って良いでしょう(アインシュタインも一部貢献しています)。この二つの力学の違いについては、広辞苑から拝借した次の説明をご覧下さい。

古典力学というのは、巨視的物体の運動に関する物理法則を中心とする理論体系、です。なお、ここで言う巨視的物体とは、私たちが普通目にすることの出来る物体、例えば、太陽、地球、ロケット、自動車、ボールなどを指す、と考えて下さい。

他方、量子力学は、分子、原子、原子核、素粒子などの微視的物理系を支配する物理法則を中心とした理論体系、と述べられています。ちなみに、量子とは、これも広辞苑によれば、不連続な値だけを持つ物理量の最小の単位となっています。しかし、そうすると、量子力学とは何を指すか、が分りにくいですね。

こういう風に考えたらどうでしょうか。古典力学という言葉を、古典と力学に分けて考えると何のことか分りにくいですが、古典力学というワンワードとして捉えると一昔前に創始された力学(ニュートン力学)だと分りますね。量子力学という場合も、量子と力学に分けると分りにくいですが、量子力学というワンワードとして捉えると、微視的物理系において、不連続な値だけを持つ物理量(の最小の単位)をベースに考えられた力学ということになるでしょう(これは私の理解ですから間違っているかも知れません)。つまり量子とは、電子のような何らかのモノを指すのではなさそうです。しかし、あえてモノを当てはめたければ、量子とは、原子内の粒子という風に考えて下さい。

次に、不連続な値だけを持つ物理量、とは何かと言えば、イメージ的には、次のようになるでしょう。時計の秒針の進み方として、1秒ごとにピッピッと動いていく(1秒目と2秒目の中間は表示しない)場合と、1秒目から連続的に動いていく(1秒目と2秒目の間でも滑らかに動き中間の値も表示する)場合の二通りが考えられますね。前者が不連続な値を取るケースであり、後者が連続的な値を取るケース、に該当します。前者(デジタルの動き)において、物理量の最小単位は、1秒ということになります。後者(アナログの動き)は、連続的な値を取りますので、当然、最小の単位というものはありません。

さて、不確定性原理は、80年ほど前にハイゼンベルクが提唱し、物理の基本原則として世界的に認められました。これは、素粒子などのミクロの世界(微視的物理系)を取り扱う量子力学のなかで大きな役割を果たしています。そのエッセンスは、素粒子などの基本的性質、例えば、その位置(空間の中で何処にいるのか)と運動量の二つを、同時に正確に知ること、は不可能であるということです。(これは日常的感覚とあまり合いません)。

小澤正直名大教授は、10年ほど前、この不確定性原理の結論に関し、素粒子などの位置と運動量については、より精度高く測定する方法があるとして、不確定性原理を表す数式を修正し、新しい数式を提唱していました。今回、長谷川祐司ウィーン工科大准教授らが、位置と運動量を精度高く測る方法があることを実験で裏付け、また、小澤教授の新しい数式でその説明もうまくできたため、小澤理論の正しさが証明された訳です。これによって、今後、量子コンピュータや量子暗号通信などへの技術的応用が一層進展すると期待されています。いずれにしろ、何十年も認められてきた物理の基本原理の一つが修正されてより精確になり、ミクロ世界を、より広くより正しく説明出来ることになり、その結果として技術的応用範囲も広がることになったのです。素晴らしいことですね。

それともう一つ、私は、小澤教授が物理学者というより数学者であることにびっくり致しました。というのも、数学は、抽象的に均質化された世界(数学の要素である自然数そのものも抽象的に均質化されている)を前提とし、その世界を量的に把握する学問・テクニックなので、質的観点からものを考えることが少ない筈です。何故なら、質を考えると言うことは、数学の前提(均質化された世界)を崩すものであるため、数学者サイドから質的観点での修正案が提出されることは、あまり無かったように思います(私の考え違いかも知れませんが・・・)。ということで、今回のニュースは、私にとって、なかなか興味深いものでした。

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ヒッグス粒子・超光速ニュートリノ

昨年の後半に、自然科学分野において、内容がろくに分りもしないのに、私を興奮させたニュースが2件ありました。ヒッグス粒子と超光速ニュートリノに関するニュースです。

(1)ヒッグス粒子発見か?

ヒッグス粒子とは、ヒッグスという科学者が、理論上その存在を予言していた仮説粒子で、重さ(正確には質量ですが、このブログでは感覚的に分りやすくするため、重さと言う言葉に統一します)を生み出す源となる粒子です。その仮説粒子が、CERN(欧州合同原子核研究機関)のLHC(1周が東京山手線並に27kmもある円形の大型ハドロン衝突型加速器)の実験において、かなりの確率で、存在することが明らかになりました。その確率は,ATLASチームで98.9%となっています。ただし、素粒子物理学においてはそれでも存在が確実視されるレベルではなく、存在確率99.9999%を目指して、あと1年間ほど更なる実験の追加と検証が行われます。

私たちは、日常生活の中で、物質が重さを持つのは当然のことと感じていますが、実は、その仕組みがはっきり分っている訳ではありません。物理学者は、その仕組みをずっと探し求め研究してきましたが、それに理論的根拠(仮説)を与えた人物がヒッグスです。予言どおりに、ヒッグス粒子の存在が確認されると、彼の仮説の正しさが証明されることになります。逆に、否定されてしまうと、物理学で現在幅広く受け入れられている、標準理論(強い力、弱い力、電磁力を記述する理論の一つ)、は重大な修正を余儀なくされることになります。簡単に言うと、物理から見た世界像が大きく変わる訳ですね。

(注記)物質が重さを持つのは、動きにくさにあるのだそうです。この宇宙には、ヒッグス粒子なるものが満ち満ちていて、物質が動く場合、そのヒッグス粒子と衝突しながら進まなければならないので、抵抗が生じ動きにくくなります。この動きにくさを表したものが、重さですね。重さ10kgのものは、重さ1kgのものより10倍動きにくいため、これを無理に動かそうとすると、10倍のエネルギーが必要になってきます。私たちが慣れ親しんできた重さも、その仕組みを理屈で考えると非常に難しそうですね。

(2)超光速ニュートリノが存在する?

もう一つの衝撃的なニュースは、超光速ニュートリノ(光速を超えるニュートリノ)が存在するかも知れないということでした。OPERAという、日本も参加する国際共同研究グループが、ニュートリノが光よりも速いスピード(秒速で、光より1億分の6秒程度速い)で進む、という実験結果を発表しました。

これも、上記(1)で述べたCERNの加速器を使って為された実験です。昨年9月に、実験結果の発表が行われ、12月に実施した再実験でも同様の結果が出たそうです。

超光速ニュートリノの存在がもし事実だとすると、重さを持つ粒子は光速を超えることが出来ない、というアインシュタインの相対性理論を覆す話となってきますので、現代物理学を根本的に見直す必要性が出てくることは必至です。ただし、相対性理論の信憑性については、かなりの部分が実際問題として証明済みであり、カーナビなどにもその成果が応用されています。そのため、相対性理論を覆すようなインパクトを持つ超光速ニュートリノの存在については、懐疑的な科学者が多いように見受けられます。

(3)素人にとって何が面白いのか?

大まかに言って、人類は昔から、自分を取り巻く世界やそこから発生する現象について、そのメカニズムを知りたいと願ってきました。でも、なぜ、そういうことを知りたがるのかという理由は、私見ですが、そのことが人類の繁栄に役立つ、と意識的であれ無意識的であれ人類が感じてきたからでしょう。勿論、観察対象のメカニズムが分れば、その対象をコントロールすることが可能になります。結果として、今日では、膨大な科学知識の集積やメカニズムの理解が進み、その一部が技術としても応用され、人類の繁栄に貢献してきたことは否めない事実です。

ただし、人間の他の性質もその知りたがりの傾向を、サポートしてきたと思います。人間は、安定した日常性を好む性質を持っていますが、他方、それに飽きがきて、安定した日常性を破壊し、新しいものを生み出したいという革新的性質も併せ持っています。これまでのことを覆すような、新しい知識、新しい発見、新しい考え方や構想、あるいは新しい事物の創造、などに人間がワクワクするのも、そういう性質の現れだと思われます。私のような素人であっても、このような革新性を求める気持ちはありますから、上記のようなあまり良く分からない物理学の最先端ニュースにも、興味を持つわけです。

勿論、私のような門外漢には、専門的な分野において、新しいものを創造する力などありませんが、それに興味を持ちワクワクすること自体は、専門的分野で活躍する人たちへの励ましや応援になるでしょう。それだけではなく、その応援が大きくなれば、国家予算の配分やその他の具体的な支援力、になっていくことは間違いない、という風に考えています。繰り返しになりますが、私たち一般人が、そのようなニュースに興味を持ち見守ることは、決して無駄ではなく、まして、そのニュースを素人が知ってどうするの?などという白けたものになる筈もありません(勿論、だからといって、端から物理などに関心の無い人に、興味を持て、などと強要するものでないことは、言うまでもありません)。

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米誌サイエンスが選んだ十大業績

日経新聞11年12月26日付朝刊で、米誌サイエンスが11年の十大業績を選んだ旨の報道がなされていました。その中に、日本発が2件入っていました。小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクト、と、光合成たんぱく質(PSⅡ)の構造解析、です。国際的に評価された実績が2件あることは、私の手柄でもないのに、やはり嬉しく思います。

ただ、本日取り上げたいのは、この話ではなく、十大業績の中の一つである、老化細胞を除去する抗加齢研究、についてです。もっと正確に言うなら、この研究内容の話(専門家ではない私が、この研究内容を理解するのは無理です)ですらなく、単にこの研究テーマが示す人間の欲望の強さ、が気になるのです。つまり、「老化細胞を除去する」と「抗加齢」という言葉自体に、私はある種の疑問を感じた結果が、このブログとなりました。

私はつい最近まで、普通の健康を保持してきました。しかし、加齢が進むにつれ、遂にそれなりの病気持ちとなり、現在は、投薬を受けて生きながらえる状態になっています。だから抗加齢医療が進歩することに否やはありません。特に、母が認知症になってからは、私もその道を歩むに違いないという確信めいたものがありますので、抗加齢医療が充実し、認知症も無く長生き出来れば、と願っています。欲を言えば、抗加齢医療の急速な進歩で、母の認知症を直す方法が見つからないかなー、とも思います。

とはいえ、このような個人的願望から少し離れ、視点を変えて、このテーマを改めて眺めてみると、何とまあ人間の欲望丸出しと言うか、反自然的と言うか、呆れてものも言えなくなるほど酷いものだ、という気がします。抗加齢医療の目指しているのは、結局、古来からの悲願ではありますが、あるレベル以上の生物には許されない、不老長寿の獲得、を意図していることになります。

不老長寿は、何故許されないのでしょうか? 最大の理由は、人間はそのように作られていない、ということです。これは、人間のこの世における在り方を問う問題といっても過言ではありません。人間(だけではありませんが)は、親世代が両性生殖により子世代を産み、子世代を一生懸命に育てる、子世代が育って大きくなると、子世代がまた子を産み、その子育てを始める、そして親世代の方はというと、ある年限を過ぎればこの世から消えていく、これが自然の摂理です。こんなことは誰もが知っている道理です。

それにも関わらず、不老長寿を願うことは、これに真っ向から挑むことになり、そこに繋がる過程の一部がこの抗加齢研究だ、という風に私には感じられ、危うさを感じさせるのです。十大業績の抗加齢研究の中身は全く分りませんが、言葉だけで考えると、この老化細胞を除去する、という方法が、私の心配を一層助長させます。これは、私たちが日常的に体験する、脱毛や垢としての老化細胞の除去とは、根本的に意味が違うであろう事は、容易に想像できますね。

抗加齢研究の著しい発展は、もう一つの大きな矛盾を生み出します。それは人間という生物が持つ種族保存本能の機能に、かなりの制限を齎し、その結果、人間の在り方に大きな変化を齎す危険性があるだろう、ということです。

種族保存本能にはいくつかの機能があると思います(私の勝手な解釈であり、学問的裏付けは全くありません)。まず、子孫を産み育てる、というのが一番重要でしょう。そのことにより、生物種としての新陳代謝を図り、若々しい生命力を維持していく、あるいは同一種を拡大させていく、ということが可能になるのです。それ以外にも、集団を形成する、集団の中を階層化する、可能なら同一種とは仲良くする、ことなどでしょうか?

ここからは更に妄想を膨らませて、未来のシナリオを考えてみましょう。人間のセックスは、今よりも更に享楽化し、子孫を産まなくなる傾向がますます強くなります。と言うのも、地球が養える人間の数には限度がある訳で、それは、食料、エネルギー、資源などの量により規定されます。それも、抗加齢研究が進めば、高齢者は加速的に増え続けますので、その時期は一層早まることになります。いきおい、現在、この地球に存在する人間のみで世界を構成しようとするでしょう。

となると、一見健康そうには見えるが、実際は年寄りばかりが目立つ世の中となります。本当の意味での若さが失われていますので、世の中の活力が落ち、新しい発想や革新的なことも少なくなり、世の中、全てのモノゴトが硬直化し始めます。これでは困る、少しは若い命を補充しようと考えた時に、頭をもたげてくるのは、多分、優生学です。少数精鋭の若い命を効率的に産み出そうとすれば、知能優秀、身体強健、意志強固な人間をデザインし、遺伝子工学を駆使して、そういう子供のみをこの世に送り出そうとする、その途中経過は厳しく監視され、失敗作と判断されると、容赦なく秘かに闇に葬る、なんてことになりそうです。これを一言で言えば、人間社会全体が、狂気の世界に陥るのではないか、という懸念です。そしてコトはこれだけで済まなさそうだ、ということが、容易に推察できます。

また、上記は、妄想の一つのシナリオでしかありません。これ以外にもいろいろ考えられるでしょう。そのことが又、私の不安を煽るのです。とはいえ、最初に述べたように、私個人としては抗加齢研究が進展して欲しいと思っている訳ですから、そのことに矛盾を感じはしますが、人間に自己保存本能を上手く制御することなど困難でしょうから、あきらめて、行き着くところまで行くしか方法は無いのかも知れません。ここで仮に、自己保存本能を上手く制御することが、制度や仕組みの変更ではなく、医学的手段で可能になったりしたら、それはそれで怖い話です。いや、ひょっとすると、現在でも、人権を無視した、つまり実験動物的手段(手術や薬)を使えば、可能なのかも知れないと思うと、お、おそろしい・・・。

と、本日の話はここまでです。私はどうも年末近くになると終末論なようなものを、書く癖があるように思います。新年に、このような暗い話は書けないだろう、というあたりで、私の悪癖をご容赦下さい。あるいは、相変わらずの妄想癖だなあー、と一笑に付して頂く方法もあります。

それでは、皆様、この戯言のブログに惑わされず、昇り竜たる良き新年をお迎え下さるようお願い申し上げます。

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橋下徹 新大阪市長

大阪の市長選と知事選において、橋下徹氏代表の「維新の会」が大きな力を発揮し、橋下氏自身も新大阪市長になりました。これが国政にも微妙なインパクトを与え、各政党の思惑がらみの動きも出ています。

この選挙で、一番大きかったのは、多分、投票率の高さでしょう。これまで40%台であったものが、一挙に60%を超えることになったのですから、驚きです。その結果が圧勝に繋がった、と言うことですね。

私は大阪に多少の縁はありますが、住んでいる訳ではないので、本当のところは分かりません。しかし、特にある時期からの一貫した経済地盤の沈下は目を覆うばかりで、商業都市大阪のかっての輝きとは、比較すべくもありません。大阪人は、現在、日本全体が感じている閉塞感を、一層顕著に感じている筈です。

ここに登場したのが、元気でパワー溢れる橋下氏、大阪人は彼に何を期待したのでしょうか? それは、巷間言われるように、この閉塞感を打ち破り、何かやってくれそうな実行力でしょう。街頭インタビューでも、好意的に見ている人が多かったように思います。勿論それは、大阪府知事としての実績、その激しい物言いに象徴される戦闘的体質、目新しい構想を実現していく突進力、などが評価された結果だと考えられます。

他方、批判サイドは、その体質を独裁と言い捨てています。これはある意味、正当な評価ですね。強いリーダーシップと独裁は、基本的性格が同一なんです。私が今年5月20日のブログ「烏合の衆」で述べたように、人間は本性として、独裁者を戴き、烏合の衆たることに慣れ親しんでいるため、あまり抵抗感無く、その状態に満足できます。結局、今回のケースでは、先行きが望む方向に行きそうだから、これは楽チンとばかりに、(独裁者であろうが無かろうが)、橋下市長に身を委ねればよい、というのが一般人の感覚でしょう。

しかし、その橋下氏が、本当に暴走し始めたとき、どうするのでしょうか? 独裁とリーダーシップが同一なら、その危険性を排除することは出来ません。当然、対策を事前に考えておく必要性がありそうです。

そのほかにも、考えておかなくてはいけない、ことがあります。、そもそも暴走し始めたとの判断は誰が下すのか? と言う問題ですね。難しい問題ですが、それについては、各人が自分の判断基準に照らして決定するしか方法が無いと思います。その際の判断基準は、出来るだけ恣意性というか、気まぐれな判断を防止するために、前もって準備しておきたいものです(出来れば、いろいろな人との意見交換が望まれます)。

暴走を止めるためには、次のような準備が必要だ、と推測されます。

(1)一つは、暴走しないよう社会的な制度や仕組みを充実させることです。

(2)2つ目は、(私たちの心がけというよりは)、責任を取る覚悟、を決めることです。

(3)もう一つあります。人間が作り出したもの(虚構)は、人間が、常時その意味づけを行って初めて、それを支え続けることが可能となるため、その制度、仕組みを、必要に応じ適切に使用していくことが求められることです(使われないものは有名無実となり、存在意義が無くなります)。

以上のような準備(これ以外にもあるでしょうが)が出来てくれば、何とか政治の暴走を食い止める可能性が見えてくるように思います。注意すべきは、暴走を食い止めるブレーキは、いつでも好きなときに掛けれる訳では無い、ということです。暴走がある程度進むと、ブレーキは利かなくなります、というかブレーキ自体が無くなってしまいます。なぜなら、そういう時期になると、私たち一般人が、暴走を暴走と感じなくなり、暴走それ自体に加担し始めるからです。そうはなりたくないなら、いろいろの人と意見交換を行い、私たち自身のことも含め、考え続けていくしかないでしょう。

陰の声: 何か話が大きくない? あんたの覚悟は出来てるの? 虚構を支え続ける行動が出来るの? 

私のボソボソ声: エッ、あのー、そのー、何とかできるように頑張りたいと思います。(汗、汗)

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事業仕分けの槍玉「高速増殖炉」

高速増殖炉「もんじゅ」が事業仕分けで取り上げられ、その研究中止が議論されています。これまでに累積1兆円を超える税金が投入されたのに、あまりはかばかしい成果が出ておりません。それに、東京電力の原発事故以来の原発アレルギーも研究中止の有力な根拠になっているでしょう。

私の原発に関する立場は、これまでのブログで明らかなように、核分裂による原発には反対しています。その理由は、放射能、放射性廃棄物の管理が、人間には出来そうにないからです。高速増殖炉でも、これまでの原発と同様、あるいは、それを上回って、危険な放射性廃棄物が生成、排出されるからです。

核融合による原発は、条件によっては、許容できると考えています。しかし、残念ながら、未だに相応の情報が入手できませんので、現時点では、判断不能です)。

私は中学生の頃、この高速増殖炉の計画に大きな期待を抱きました。何故かといいますと、それはエネルギー供給の飛躍的拡大を可能とする技術だったからです。当時の日本は、まだまだ何も無い無いづくしの世の中であり、元来が資源の乏しい日本にとっては、夢のような話に感じられました。

その中身とは、多少細かくなりますが、おおよそ次のようなものです。

(1)人間が、核分裂を起こしてエネルギーを取り出すことができる物質は、ウラン235とプルトニウム239です。ただし、プルトニウム239は天然には存在しません。

(2)ウラン235は、ウラン鉱石から取り出しますが、ウラン鉱石の中に、たったの0.7%しか含まれておりません。残り99.3%は、ウラン238であり、これを使っても、核分裂を起こすことが出来ません。

(3)ところが、ウラン238に高速中性子を当てると、ウラン238はウラン239へと変化し、さらに、プルトニウム239になります。上記で述べたように、プルトニウム239からは、核分裂によりエネルギーを取り出すことができます。つまり、ウラン鉱石の中にある、役立たずの99.3%(つまりウラン238)を、少し加工してプルトニウム239にすれば、エネルギーとして役立てることが可能になるのです。

どうです? 素晴らしい話でしょう? しかし、そうは問屋が卸しませんでした。

問題がいくつかあります。プルトニウム239は天然には存在しない猛毒を持つ物質である、半減期が2万4千年と非常に長い、というように、事故などでプルトニウムが飛散したときに大きな汚染を長期に亘って引き起こす危険性があります。また、プルトニウム239は爆発しやすく中途半端に爆発するらしい(つまり危ない)、プルトニウム爆弾(原爆)の製造は比較的簡単にできる、ことなどです。

このように考えていくと、費用がかかるわりに研究が進まないことを脇に置いても、もんじゅ、の研究継続は否定的にならざるを得ないと思います。とはいえ、少なくとも次のような問題は考えておく必要がありそうです。

ひとつは外国の脅威、もうひとつはテロの脅威、です。つまり、外国やテロ集団が、比較的簡単に製造できるプルトニウム爆弾で脅しをかけてきた場合、これに対抗する手段をどう確保するのか、について検討すべきでしょう。

いや、そのときは話し合いで解決していく、というような方法は、それで解決に失敗した場合、非暴力不服従主義に徹する、との覚悟がない限り筋が通らず、何の役にも立たないと思います。

原発の話から、いきなり、プルトニウム爆弾の話に飛躍するのは行き過ぎ、とお考えの皆さんには、「原発」技術は「原爆」技術の転用である、ということをお伝えして、本日のブログを閉じたいと思います。

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